柴犬の歴史

赤備荘です<m(__)m>

このページでは柴犬の歴史と題し、少し語って見ようと思います。
まず、そもそも日本犬とはいかなるものか。
ここから初めて見たいと思います。

我々、日本犬保存会に登録されている犬種としては
6種類があります。
秋田犬、北海道犬、甲斐犬、紀州犬、四国犬、柴犬
この六種類が、日本の特別天然記念物に指定されています。
そうなんです、日本犬は日本古来種として天然記念物なんです。

さて、ここで犬に詳しい方ならあれ?と思われるはず。
そう・・・日本犬の中で唯一小型なのは、柴犬だけです。
他に、小型の日本犬はいないの?と思われるかも知れません。

実は、日本犬保存会で登録はされていませんが
長野県川上村に、川上犬がおります。
現在も積極的に保存活動をされています。
柴犬の親戚犬と言われておりますが、今回は触れずに
お話しを進めてみたいと思います。

では、本題の柴犬とはいかなるものなのか・・・
柴犬はそもそも、その地方の地犬の小型犬を
総称した言い方だと言われています。
諸説あります・・・枯れた芝の色に毛色が似ているからなどです。

その昔、各地方には各地方の名前が付いた柴犬がいました。
信州地方なら信州柴、美濃地方なら美濃柴、三河地方なら三河柴
山陰地方なら山陰柴と呼ばれていました。

柴犬は現存する犬種の中では、古代種の中に入ります。
DNAを解析すると 次のように順次分岐してきたとされています。
まず、イヌがオオカミから分岐した。
その次に、柴犬、秋田犬などのアジアスピッツ系、
およびチャウチャウ、シャーベイなどの青舌マスティフ系になる系統と、
次にハウンド系および北極スピッツ系になる系統と分岐、
その後柴犬、秋田犬の系統からシャー・ペイが分岐し、
残りが柴犬・チャウチャウ・秋田犬群の系統となり、
柴犬はこの時点の系統から最初に分岐した。
なお残りのチャウチャウ・秋田犬群はその後に別れます。

古代は縄文人と狩りにも出かけた犬種
縄文時代の貝塚から骨が出土しています。
つまり、日本の気候に一番馴染んで
遺伝的にも飼い主に忠実な遺伝を
古代から受け継いでいるのです。
それが柴犬です。

さて、話を戻します。
日本犬保存会設立当初は、この各地方の地犬が主に
展覧会に出陣していましたが、より日本犬古来の姿を求めた
諸先輩が、当時優秀な柴犬だった信州柴を元に
各地方の柴犬と交配させ、優秀な姿を固定化して行く作業をされました。

これらの保存作業が至難の業だったことは想像できます。
交通事情も現在ほど良くない日本で、各地方の柴犬と
信州柴を交配させて行くのは、至難の業だったことでしょう。

そうして、諸先輩の努力の元に現在の柴犬の姿が存在しています。
つまり、現在の柴犬は信州柴の姿をしています。

では、その他の地方の柴犬はどうなったか・・・
皆さん気になると思います。絶滅したの?
確かに・・優秀な柴犬が出来れば、その元となった柴犬の頭数は
激減するものです・・・世の常と云えばそれまでですが
各地方の柴犬の血は今でも耐えていません。
確かに、三河柴犬は絶滅してしまいましたが

美濃柴は現在も保存活動がされています。
岐阜県美濃柴犬保存会
山陰柴も現在も育成保存活動がされています。
この山陰柴の石号は現在の柴犬の多くに血が流れています。
山陰柴犬育成会





各協会のサイトリンクを掲載します。
良ければ皆様、ご覧ください。

それと最初にお話ししました。
川上犬も保存活動をされています。


川上犬保存会

そして、より古来の柴犬の姿を求める方は
縄文柴にも拘っておられます。
こちらにも協会が存在し、展覧会が盛んに行われております。
日本犬保存会の柴犬と違い、やや額の深さが浅い柴犬です。

どうでしょうか、柴犬だけでもこれだけの歴史があります。

また、柴犬の歴史を時々語りたいと思います。

それでは失礼します。

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